柿川夜桜閑話 30 金仏堂(山田1)縁起

柿川夜桜閑話 30 金仏堂(山田1)縁起

長岡空襲で金仏さまは焼失した。
しかし、崇敬の気持ちは失われていなかった。
宮本村のある大工さんが、同村永井某より釈迦牟尼仏を譲り受け
山田町の土地(現在地)に安置した。
昭和23年5月19日開眼法要が行われた。
大工さんは、釈迦牟尼仏を背負ってきたとのことであった。
そのためあってか、山田町には火事がほとんどおこらなくなったという。町は繁盛し食料品店2軒、金物屋2軒など一通りのものが揃う商店街となった。
そして昭和61年5月11日、せがれさんと町内の方で現在の阿彌陀仏の開眼法要がおこなわれた。
そのお堂の隣の公民館は地域の交流の中心であった。

余話
山田町の方によると
お堂の横の公民館に夏休みに小学生が集まったり、
青年団のお祭りの寄り合いがあって金子屋さんから出前をとったり、
その裏のお寺では盆になると肝試しがおこなわれたそうです。

余話

長岡空襲の時家族で逃げる時仏壇う背負って逃げた話を多くきく。

仏像としての釈迦如来

釈迦如来を表す梵字

釈迦如来は、インド以来、広く仏教の流布した地域で造像されるようになった。その中心は、実在の釈迦の伝記としての仏伝を絵解き風に造形化したもの、あるいは、その一場面を単独で造像したものなどであった。

日本では、誕生像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像などとして造像が行なわれた。なかでも説法像が一番一般的な造形であり、説法印などによって、釈迦が法を説く姿を表現している。

作例としては、奈良の法隆寺金堂、京都の蟹満寺の銅像、奈良の室生寺金堂、京都の大報恩寺の木像などが著名となっている。また、京都清凉寺の瑞像を模した清凉寺式釈迦如来も広範に流布している形式である。

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