柿川夜桜閑話 27 宮原 大己貴神社(宮原3)異聞

柿川夜桜閑話 27 宮原 大己貴神社(宮原3)異聞

大己貴神社(宮原3)異聞

幸町の治療院からほど近いところに大己貴神社(宮原3)があります。
かつては「十方院」と呼ばれました。

宮原地区の氏神さなで9月の中旬にはお祭りが行われます。

昔からこの地は鎮守の森で、小高い丘に街道が走り三国街道に繋がっていました。人気はなく周囲に湿地が広がっておりました、
一本の杉の枯木がありました。
そこに一人の修験道の行者が通りかかりました。
行者は奈良の大峰山での修行の後日本海側を経由して関東に向かうところでした。

旅の途中に流行り病にかかっておりました。

行者はふと呼び止める声がしなした。
鬱蒼とした森のなかの杉の古朴の割れ目から
お薬師さまが現れ、小さな花を指さしました。
行者は、薬師の真言を唱え、その葉を額に当て絞り汁を飲続けました。
木の割れ目に籠もり3日ほどで病は癒えました。
その花は、十薬(ジュウヤク)と呼ばれる十の効能をもつ藥草でした。いまではドクダミとよばれています。
この地に庵を建てのたくさんの病を治した。行者さんは、十方院さまとよばれました。

金峯神社日記

新潟県長岡市宮原に鎮座いたします大己貴神社で祭礼を執り行いました。

少し歴史をご紹介いたします。かつて、こちらの地には「十方院敬忠」という山伏がおりまして宮原村(当時)に薬師を奉祀したのが事の始まりです。当山派(※1)修験十方院は慶長年間(1596年~1615年)その町で当時、薬師如来をお祀りしておりました。その後、時代が進み明治に神仏分離で大己貴神社と名前を改め「大己貴命(大国主命)」をお祭りした。

※1 当山派とは平安時代から江戸時代にかけて存在した真言宗系の修験道。金峯山(※2)を山岳修行の拠点とし活動を行っていた。明治の神仏分離で、修験道廃止に伴い当山派は真言宗に統合されることになった。

※2 金峯山とは奈良県の大峰山脈のうち「吉野山」~「山上ヶ岳」までの連峰の相称。

午後からは「各戸祓い」を執り行い、ご自宅に一軒一軒まわりお祓いを致します。大変、天候もよく神輿を担ぐ子どもたちの「ワッショイ ワッショイ」と言う声が宮原に響きます。お近くにお寄りの際はどうぞお参りください。ちなみに、宮原の歴史など詳しく知りたい方は「大己貴神社と宮原の今昔」という本が大己貴神社様(長岡市宮原)にございます。お祭りの日にお参りを兼ねてお近くの方にどうぞお尋ねください。(小)

この投稿は 2017年9月10日 日曜日 4:21 PM に 年中行事 カテゴリーに公開されました。 この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読することができます。 コメントを残すか、ご自分のサイトからトラックバックすることができます。

新潟県長岡市宮原に鎮座いたします大己貴神社で祭礼を執り行いました。

少し歴史をご紹介いたします。かつて、こちらの地には「十方院敬忠」という山伏がおりまして宮原村(当時)に薬師を奉祀したのが事の始まりです。当山派(※1)修験十方院は慶長年間(1596年~1615年)その町で当時、薬師如来をお祀りしておりました。その後、時代が進み明治に神仏分離で大己貴神社と名前を改め「大己貴命(大国主命)」をお祭りした。

※1 当山派とは平安時代から江戸時代にかけて存在した真言宗系の修験道。金峯山(※2)を山岳修行の拠点とし活動を行っていた。明治の神仏分離で、修験道廃止に伴い当山派は真言宗に統合されることになった。

※2 金峯山とは奈良県の大峰山脈のうち「吉野山」~「山上ヶ岳」までの連峰の相称。

午後からは「各戸祓い」を執り行い、ご自宅に一軒一軒まわりお祓いを致します。大変、天候もよく神輿を担ぐ子どもたちの「ワッショイ ワッショイ」と言う声が宮原に響きます。お近くにお寄りの際はどうぞお参りください。ちなみに、宮原の歴史など詳しく知りたい方は「大己貴神社と宮原の今昔」という本が大己貴神社様(長岡市宮原)にございます。お祭りの日にお参りを兼ねてお近くの方にどうぞお尋ねください。(小)

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