柿川夜桜閑話 49 聞き書き長岡60年前

柿川夜桜閑話 49 聞き書き長岡60年前
1961年生まれだが、当然その記憶がない。
改めて周りの方に聞いたり調べると面白かった。

家庭の火力がマキだった。家の裏に薪小屋があり、カマドでご飯を炊いていた。火種を絶やさないよう七輪に炭を起こしヤカンをかけていた。裏の用水路でオシメを洗う。残飯は犬猫の餌となり、生ゴミは柿の木の下に埋めた。トイレは汲み取りでそばに南天を植えていた。祖母は着物だった。町内はほとんど木造家屋であり、個人商店が多く一通り揃っていた。当時は物質的に豊かとは言えないが人々は明るかった。

大和長岡店(1958年)イチムラ百貨店(1954年)が既に開業しており、丸専デパート(1960年)が前年12月に開業した。長岡に高度成長の時代が始まった。

この頃は積雪が二階まで及び雪囲いをしている。携えているのはコスキという木製スコップ。子供のころから屋根に上がっていた。

1961年年末年始 36豪雪 大手通りに山となった雪
消雪パイプ流雪溝はほとんどなく、人力に頼った。2月2日には長岡地震があり、家屋 半壊930戸に達した。6月6日信濃川の堤防が決壊。豪雪、地震、洪水、火災が相次いだ。
長岡市HPより画像引用

丸専地下 写真は1970年だが、丸専開店当初からイタリアンや餃子があった。イタリアンもボクも60有余年です。
フレンドHPより画像引用

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